風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その179+347)

『仕事とはしなければならないものではない。やる必要がなければ、無理にやろうとすることはないし、それを非難される謂れもない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 そして、何故か生かされているサントハイムの人々。(挨拶@やっぱりDQⅣ)


 朝から雨。正午を回った辺りから雨足が強まり、風も吹き始めた。気温はあまり上がらず、多分20数℃(アラビア数字での表現は厳しいか?)。
 本来、労働とは生きている限り、やらなくてはならないものではない。例えば、親の遺産が充分にあり、一生、金銭を稼がなくてもよい人ならば、別に無理に働くことはあるまい。
 ただ、そういった生き方を非難する人々が、割りと多いわけで(ワケ×2)、労働に従事することこそが人生の美徳、みたいに思っているようだ。だが、労働とは所詮、生活するための金銭を稼ぎ出す行為であって、それをすること自体に価値を求めるのは、あくまで二次産物的なものである。そのあたりを混同している人が多いのだ。


 あくまで都市伝説的な話だが、七つ集めると願いがひとつ叶えられる玉、がタイトルの漫画作品を書いた作家氏は、すでに数世代が遊んで暮らせるだけの財産を持つという。仮に、将来、彼の子孫が仕事をしないで暮らしたら、周囲の人は非難するだろうか?そんなことが起こらない未来になっていると信じたいところだ。