風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その178+347)

『傍観できない原因は、全て自身の矮小さにある』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 自分の恋人よりも、魔王の恋人を生き返らせる不思議。(挨拶@PS版DQⅣ)


 晴れのち曇り。ここ数日、夕方になると曇っている。いや、速やかに気温が下がってよいのだが。
 現代の子供は、基本的にみんな、なにか習い事をしている。もちろんなにもしていない人もいるだろうが、まあ、かなり少数派だろう。
 運動系にしろ、思考系にしろ、子供というのは自分のやっていることを好きになるものだ。そして、好きになり、没頭しているうちに、勝手に熟練していく。
 だがそこに大人、あるいは周囲の人間の介入があると、途端にその筋道が歪められる。子供はその障害に要らぬ容量を取られ、物事に没頭できなくなり、徐々にその分野から離れていくのである。大人はこれを、飽きた、と表現するが、なんのことはない、そう促しているのは、ほとんどの場合、大人の方である。


 階級付けも規格の押し付けも、その全ては邪魔な障害に過ぎない。他者との比較は視野の狭さを呼び、知識の擦り込みは発想を阻害する。何も分かっていない大人は、何もすべきではない。ただ、見ていればよい。