風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その175+347)

『少数派は淘汰される運命にある。しかし、それが劣ったものかどうかは問題ではない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 惨劇はない。ただ、脆い心があった。(挨拶)


 曇りで涼しい。こちらには来そうにないが、台風14号は異様な勢力になりつつある。現在、915hPaで風速50メートル。小笠原諸島に住む人々は厳重注意。
 漫画やTV、ビデオゲームというものは、基本的に視覚に訴えかけるエンターテインメントである。そのため小説と比べ、虚実を駆使した構成がしづらい分野だと言える。
 例えば、登場人物Aが薬指に指輪をはめていたとして、Bさんが第三者に、Aさんは中指に指輪をはめていました、と言ったとしても、漫画ならばあっさりそのウソがバレてしまう。小説ならば絵がないので、すぐにはその心配はない。安心である(作者が)。


 作品の構成要素が多ければ多いほど、表現は容易になる。しかし容易になる、ということは、繊細さが失われる、ということでもある。多分、小説を崇拝する人たちの一部は、小説のそういった部分を愛しているのだろう。
 …そして、そういった漫画のジレンマを見事に無視したのが、↓(と鬼隠し編)である(誉め言葉)。