風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その171+347)

『予め知る、ということは対策を立てられるということだ。しかし時に侮りにも繋がる』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 愛の障害排除完了!!(挨拶)


 日本海を台風通過中につき、南風が吹き込み、やや不安定な天候。しかし昼前には雨は上がり、蒸し暑くなった。台風は今後北東へ進み、北海道へ。まだ影響はありそうだ(つまり暑くなりそう)。
 今回も九州〜中国地方は多大な被害が出たらしく、亡くなった方も幾人かいるようだ。 こういった状況になるといつも思うことなのだが、気象による自然災害で人が亡くなるケースには、川の水位を見に行って流された、とか、畑の様子を見に行って用水路に落ちた、とか、屋根を直そうとして落ちた、というものが多い。自ら危険なことを行って、死んでいるのである。


 死者を冒涜する意図は毛頭ない。地域の安全を気にかけたり、財産である畑の様子が気になるのは理解できる。しかし、自然の力を侮っているのも確かだ。数十年前に比べ、気象観測は飛躍的に発達した。もう台風で数千人も死ぬような事態は起こり得ない、と言ってもよいくらいに治水工事はなされている。しかしそういった油断と驕りがある限り、死者は0にはならないだろう。