風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その165+347)

『仕事は結果で、遊びは過程』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 このチビ女ぁ!、は差別用語か否か?(挨拶@台詞であって、用語ではない)


 朝からサラサラと雨。一時止みかけることもあったが、結局一日中、雨だった。とても涼しく、健やか。しかし涼しいことと、健やかなことの因果関係は不明である。
 あくまで風鈴製作者の持論だが(もっともこの日記に書いていることは、基本的に全て持論だけど)、仕事というものは、過程にどんな手順を踏もうとも、最短時間で最適の結果が出せればよいものだし、そういった自分に適した手法を、自分で模索するものだと思う。しかし世間にはそういうやり方を認めない人間が存在する(しかも割と多い)わけで、多くの場合、彼らは概ね次のような趣旨の発言をする。勝手なことをするな、キミひとりで仕事をしているわけじゃない、何もわかってないくせにetc…。
 断っておくが、最適の仕事をすることとは、出鱈目な仕事をすることではないし、他人を踏みつけにして自分の仕事だけを片付けるといった行為ではない。故に勝手なことをしているわけではないし、全体として不利益になるようなこともしていない。そしてそういった全体を代表しているかのようなことを口にする人間に限って、自分たちがどんな仕事をしているのかなど、まったくと言ってよいほど把握していないし、また職場全体の総意を聞いて回ったわけでもなければ、そんなこと考えてもいない。全て口からでまかせで、自分のエゴをぶつけたい(何もかも思い通りにしたい)だけの人間である。少なくとも風鈴製作者の出会ってきた人間は、例外なくそうだった。事実と現実をちゃんと認識できないカワイソウな人なのである。
 話が大きく逸れたが、ともかく上記のような、皆同じような手法で仕事をしなければならない、というような考えは激しく間違っている。そういった完全停止した思考では、能率は上がらない。それぞれ人間は適性が異なるものだ。まったく同一の手法など適用(適応でも可)できるはずがない。


 逆に、遊びにおいて重要なのは結果ではなく、過程。やっている最中が楽しいのであって、結果が出てしまっては、“祭りの後”と同じ心境となり、虚しいだけだ。故に、途中で無駄なことを山ほどやって、長く長く遊んでいるのが、遊びを楽しむ秘訣である。