風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その163+347)

『満足したときが完成。他者の観測はあまり意味を持たない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 それは私のおいな(以下略)。(挨拶@下品)


 こういうのも吹き返しというのか、真夏の陽気。蒸し暑く、33℃。必死で暑さを気にしないフリをする(しかし必死になっている時点で気にしている。矛盾である)。
 仕事にしろ、遊びにしろ、何らかの行為の果てには一種の到達点というものがある。例えば、仕事ならどこまで企画を煮詰めて事細かに想定していくのか…、また遊びなら、どこまでその遊びを極め、いつまでそれを続けるのか…、ということである。


 もちろんどちらも明確なゴールはなく、人によって大きく異なるものだ。飽きっぽい人や雑な性格の人はすぐにゴールするだろう。しかし、特に遊びにおいてはより顕著だが、一流と呼ばれる人は一生ゴールしない人のように思われる。結局、何事も続けることが重要ということ(もちろん工夫も重要だが)。