風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その161+347)

『関係があるかないかは、その人物の知性・行動・理念が自分に影響を与えるかどうかにかかっている』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 “紅蓮”は真っ赤であることを示すが、寒いことも意味する。(挨拶)


 曇り。暑くはないが、なにか不快。ひたすらに湿度が高い。
 人と人との関係の多くは、その地位や権力、経済力、あるいは立場に根ざしたものだと思われているらしい。しかし、思うにそういった考え方は、ある意味で、打算的な観測ではなかろうか?明らかに損得で他人との距離を測っている。少なくとも本質的なものではない。
 例えば、“友達”という関係にしたところで、ただ同じグループに属していれば、それでもう“友達”になるのだろうか?そうではないだろう。同じ場所に居ようとも、自分に何の印象も与えない人間を友達とは呼ぶまい。


 風鈴製作者が頻繁に“知人”という単語を使うのはそのためである。冷静に判断すれば、見知った人間のほとんどは“知人”程度の影響度しかないこと気付くはずだ。(こういうこと書くと、情に薄い、とか勘違いされそうだなぁ…)