風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その160+347)

『健康管理は、結局、自己の限界を把握し、そのラインから離れようとする行為に他ならない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 死ぬにはいい日。そんな日に死にたいね。(挨拶)


 曇り。昼過ぎくらいに突如、降雨。しかしすぐに止み、――――以後、やたら蒸し暑く。
 先に言っておくが、風鈴製作者に、医者はボロい商売だ、とか、サギだ、といった意図はない。それを踏まえて読んでほしい。
 現代人の多くは、少し調子が悪くなると医者に診てもらおうとする。もちろんそれは個人の自由なので文句はないが、しかし実際の問題として、その行為はあまり合理的でない場合が多い。
 病気の多くは自己治癒するものである。風邪や軽い怪我などその最たるもので、かえって医者にかかる方が、あらゆる側面から不利益をこうむる場合すらある。これはあくまで風鈴製作者個人の考えであるが、軽い怪我などは、下手に医者に診てもらって薬やら包帯やらを使用したほうが、直りが遅くなると思う。自分で判断して、必要最低限の治療さえしていれば充分だ(もちろん怪我を放置すれば感染症の可能性が高くなる。そういう意味での“最低限”である)。


 ある意味で、医者というのは納得と安心を売る商売であるとも言える。知識と医療行為を背景に信頼を得ているのが前提ではあるが、けして身体をいじるだけの仕事ではない(キツい仕事だなぁ…)。