風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その156+347)

『自然物が人工物よりも美しいなどと、誰が決めた?』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 逢難、可愛いよ、逢難。(挨拶)


 やや薄い雲が出ていたが、晴れ。気温は昨日と同じくらい。街が少し静かになったように思う。なるほど、子供の頃、大人は、早く夏休みが終わって欲しい、と頻繁に言っていたが、今ならそれが理解できる(もちろんその意図は大きく違うだろうが)。
 大抵の人は、旅行などに出掛けて帰ってくると、見てきたものの感想として、キレイだったよー、とか、素晴らしかったね、などと口にする。いったい何と比較して、そう思ったのだろうか?
 おそらくは自分たちの住んでいる地域との比較なのだろうが、しかしどんな街にも、美しいものは存在すると、風鈴製作者は考える。そもそもそこら辺に建っている直方体のビルひとつにしても、数十階分の高さを真っ直ぐかつ歪みをもたせず、しかも重力や風や振動に負けないだけの強度を持たせた上で建築されているのである。そのために投入されている技術や意志は、けして自然物には負けない美しさがあるだろう。


 ちなみに、人工物なんてありふれているものだから美しさなんて感じない、というのは過ちだ。地球上には、明らかに人工物よりも自然物の方がありふれている。


追記
 史跡とかって、ほとんどの場合、自然物と同一の眼で見られてない?