風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その150+347)

『人間は、星の光を喰って生きている』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ご飯はまだですか?(挨拶)


 また曇り。涼しいのはいいことだが、事実上、陰干しになってしまうため、洗濯物がイマイチすっきり乾かない(正確には乾いたときの匂いが違う)。所帯じみていることを言うが、やはり違うものだ。
 さて、↑ではやや大仰に書いているが、しかし事実である。
 星を一個の生命体と見たとき、その生命活動範囲は地殻内部だけではなく、通常、その表面も含めて考える。この星の表面には大気や海洋、様々な微生物が住み着いている。それらが流動し、活動しバランスを保って、現在の姿を維持している。
 そんな中、人間だけが意志を持つことによってその枠の中から外れ、勝手気ままに動き回り、自称霊長を気取ってバランスを崩し続けている。星から何かを受けながら、何かを返すことのない人間は、星の光(生命)を喰って生きている、と言っても過言ではないだろう。
 もちろん、すでにそれに気付いているからこそ、様々な活動が行われている。しかしそれも、光を喰べる速度を緩やかにしようとしているに過ぎない。どうやろうとも、人間は星の光を喰い続けるしかないのだから。


 ちなみに、本当の意味で星の光を食い尽くした場合(『宇宙戦艦ヤマト』の赤茶けた地球をイメージして欲しい)、あらゆる動物(人間以外)はほぼ死滅するだろうが、しかし星そのものは死なない。星の内部は活動し続けるし、その活動は遠い未来に膨張した太陽に飲み込まれる瞬間まで続くだろう。(※海洋がなくなった場合、マントルに少なからず影響はあるだろう。もしかしたら一部の地殻が割れて、大規模噴火が起こるかもしれない。その結果、地球の大気が金星のようになってしまう可能性は否定できない)