風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その148+347)

『人類が勝手に決めていることなど実に瑣末。いちいち気にすることこそが矮小』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 いきなりしりみせ。(挨拶@昔って直接的だったよね)


 曇り。昨晩は雨が降っていたが、朝には止んでいた。気温は上がらず、とても快適。洗濯には、やや向かない天候だが…。
 昨日の主な新聞の一面を飾った、惑星の定義の確定について。
 今回、策定された定義に従い、冥王星が惑星ではなくなった(dwarf planet矮惑星)という分類になる)わけだが、個人的結論から言えば、これでよかったのでは、と考えている。知人の何人かは、冥王星は惑星だと教わってきたから違和感がある、という趣旨のことを口にしていたが、冥王星が発見されたのが1930年なので、まだ人類がその存在を認識してから“たった”76年しか経っていない。
 確かに人の寿命と比較すれば、その時間は長いのだろうが、そもそも自然界のことを人間の寿命を基準にして捉えていることの方が(文字通り)不自然だし、なにより無理がある。今回のことで強い違和感、あるいは拒絶感を感じることがあるなら、それは、世界の中心は自分にあり、と思っている証拠である。一度、自らを見直すべきだろう。


 まあ、もっとも――――そんなこと気にもせず、興味のない人がほとんどだろうけど。