風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その146+347)

『泣くのは人間だけ。かなり特異な行動だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 あなたを転がします。(挨拶@一文字増やすと大違い)


 朝は曇っていたが、日中は晴れ。気温もそれほど上がらず(あくまでも昨日までとの比較)。しかし湿度はやや高かったように思う。
 女性の涙には裏がある、と言った類の話はよく言われることだが、そういう涙を流しているときは、ほぼ10割、それでも体裁を繕いながら泣いている。
 泣く、という行為は、本来、自分以外に助けを求めるための行動だ。乳幼児のそれが本来のカタチだと言える。彼らのソレはとても激しい。より大きな声で、アピールすることが有利に働くことを知っているからだ。
 しかし大人になるにつれ、声を殺し、あるいはさめざめと泣くようになる。こうなると、すでに本来の役割を離れている。そういった行為によって引き出されるのは、厳密な意味での助けではなく、見栄や自己満足に類するものである(それでもいい、という人もいるだろうけど)。


 たまに、泣くとそれだけでスッキリする、という人もいるようだが、これは錯覚だ。子供の頃、泣くことによって誰かに助けられた経験を踏襲することによって、心理的に安定するのだろう。過去にあまりそういった経験のない人は味わえない感覚だと思う。