風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その144+347)

『在るモノを無かったことにするのは、無いモノを在ることにするよりも容易だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 駄菓子を愛そう。(挨拶)


 曇りのち晴れ。やはり少しずつ秋が近づいているのか、日没後はさほど暑くない。昨晩はエアコンは止めて寝た。今日もその予定。
 コミック版『ひぐらしのなく頃に 暇潰し編』を購入。個人的には祟殺し編に次いで好きなので、かなり前から楽しみにしていた(はいそこ、ロリとか言わないっ!)。コミック版ひぐらしは他の作品のコミック化に比べ、質が良いと思う。
 作品内で主人公・赤坂氏がバス内で、地元住人に、じーーーー、っと見られているシーンがあるが、これは風鈴製作者にも経験がある。某N県N市T村に行ったときなど、バスの中どころか、村のどこにいっても村の人にジロジロ見られまくるという、なにやら強制的に後ろめたさを感じさせられるシチュエーションに立たされた。


 別に彼らに悪意はないと思う。ただ、変化に乏しい空間の中に、異物が入り込んできたので気になってしまうだけだろう(…それがただの興味なのか、それとも敵視なのかは判らないが)。こういった人間の習性は今も昔も変わらない。“山間の村”に代表される閉鎖的コミュニティが存在する限り、未来においても変わらないだろう。