風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その143+347)

『いかな同人といえども、自分をプロデュースしなければ、誰にも相手にされない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 リリー?りっりー!(挨拶)


 晴れ。相変わらず日中は暑いが、昨日の夜半あたりから若干空気が変わった。夜は一昨日以前と比べ、やや涼しくなったと思う。今(PM20:49)も、うだるほどの暑さではない。エアコンなしで過ごせないこともなさそうだが、しかしPCが動いている限り、エアコンを止めるつもりはない。
 同人活動というものは、本来、同じ趣味や嗜好、あるいは思想を持った複数人が集まって、何らかの形で自分たちの作品、成果、考えを発表する活動を言う。この国でのその始まりは明治時代の歌人・詩人・小説家たちが自作を寄稿しあったもので、現代のように不特定多数に配布するものではなく、内輪、もしくはごく一部の同じ趣味の人が読むに留まっていた。
 当時は印刷技術も流通方法も発達していなかったということもあるだろうが、どちらかというと、同人活動とは互いの感性をぶつけ合って、互いを高めるための媒体であり、またそういったある種の“組織”に属することによって正式にプロの作家として活動するためのコネクションを作る場でもあったのだろう。


 ちなみに現代における同人活動は発表の場が無数に用意されており、印刷の低コスト化、またPCの機能向上とネットワーク普及により、非常に敷居の低いものになっている。そのためジャンルの多様化は進み、その細分化はすでに既存のカテゴリに納まりきらない。一人で活動している人間も多い(というかそちらの方が主流)し、どんどんと個別化している。昔と違い、やや自己満足のための活動と化しているのが現状だろうか…?