風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その134+347)

『いつまでも存在しているだけの道具に意味はない。それは芸術品も同様だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 見つけにくいものですか?(挨拶@ええ、多分)


 曇り。14時過ぎくらいに、突如として激しい雷雨。スコール、といっても差し支えないほどの降りっぷり。だが、雨の音しか聞こえない空間というのも、思ったより落ち着くものだ。程なくして雨は止み、夕方には少しだけ晴れ間もあった。
 所有欲には2種類ある。それを手に入れて使用し(飾り)、いつまでもそれを愛用しよう(愛でよう)と思う場合と、その物品本来の役割を無視して、ただ所有してしまいこんでおく場合だ。


 前者はコレクションとして収集し、後者は財産として所有している。どちらがいいとか悪いとかではない。集めている本人が満足しているかどうかが問題なので、他人が口を出すことではない。ただ西洋の場合は、それを作った人。東洋の場合は、その物品自身の満足度を問題にする傾向があると思う。その問題を考慮するならば、財産として所有されるのは本望ではないだろう。