風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その133+347)

『愛情とは打算ではない。対して、執着は打算ができない人間が嵌る落とし穴だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 探しものはなんですか?(挨拶@不審物や爆発物です)


 早朝からずっと曇っていて、風も涼しかった。しかし正午あたりから晴れて、異様な暑さに。ずっと外にいたので、顔が赤くなった。
 たとえ、どんなに過酷な状況に在っても、なお揺るがず追い求められるかどうかで、物事に対する愛情は測られると思う。明らかに費やされている労力に対して、極度に得られるものが少なくとも突き進む。愛は盲目、という言葉の源泉だ。まだ自分にもそれがある――――それが確かめられた1日目でした(何のことかわからなかったら、スルー)。


 ちなみに物事に“執着”している人間は、損得の計算自体が念頭にない。例を言うならば、悪質なストーカーは全て自分の都合の良いように受け取るので、それを行っている最中、本人にとっては得しか存在しないのである。これが執着の正体だ。