風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その131+347)

『社交辞令には社交辞令で。本音にも社交辞令で?』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 それはね、たった一人だけでも花を愛してくれる人がいる、って知ったとき。(挨拶)


 朝方、豪雨。台風の影響だが、しかし風はそうでもない。すでに勢力が弱まっているせいだろう。昼過ぎには雨も上がり、夕方には晴れていた。明日は暑そう。今からウンザリだ。
 家族などが病気や怪我で入院すると、それを知った周囲の人間は必ずといってよいほど、大丈夫?、とか、大変だね、とか言ってくる。――――何が“大丈夫”で、何が“大変”なのだろう?どちらもその入院している人がそうなのであって、その家族は大変でもなんでもない。ただ日々の生活に見舞いの時間が少し加わるだけだと思うのだが…。(それとも、そんなことが大変だと感じるのだろうか?)


 もちろん、そういう風に気にかけてくれるのは、それなりにありがたいと思わなくもないような気はするので、正直な感想は口にしない。ただ、もし仮に家族一人が欠けたことが原因で生活そのものに支障をきたしてしまうようなら、それはその欠けた人物に依存しすぎている。ちょっといろいろと考えるべきだろう。