風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その104+347)

『五感に訴えかける要素が増えれば増えるほど、噛み砕いた表現になる。せざるを得ない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 僕が正義だ!!私が正義だ!!(挨拶)


 暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑い暑いッ!!ついでにエアコンの調子が悪いッ!!――――以上。
 『劇場版 DEATH NOTE』を観てきた。正直、リューク以外あまり期待していなかったが、まあそれなりに『DEATH NOTE』らしさは表現されていた。
 以下ネタバレ注意。
 リュークのキャラクター性はまずまず掴めている。リンゴが食べたいのォーッ!、はやりすぎだが。そんな彼がTVに映っていたミサミサの顔を凝視していたのが気になる。デスノートを所有した人間の寿命は、死神の目を持っていても見えないことになってはいるが、それは目を持っている人間が見た場合の話であり、死神は無関係に寿命を見ることができる。よってリュークがその時点でミサが所有者であると気付いたとは考えづらい。そもそも終盤で、ミサが変質者に襲われるシーンがあるので、それまでは所有者ではなかった模様。…若さの割りに異常に短いミサの寿命に注目していたのか、それとも単にミサのことを可愛いとか思っていたのか、はたまたすでにレムが周囲をうろついていたのか…。多分、後編で描写されると思うので注目。
 あとは南空ナオミが異常なほどに直情的。とてもLにその才覚を認められている人間とは思えない。漫画の彼女とは別人であると考えた方がよい。
 Lは今回は控えめ。しかし彼の魅力は後になればなるほどに発揮されるはずなので期待。というか、後編の出来はそこにかかっていると思う。
 最後に、警察庁捜査陣。漫画と違ってLがハッキリした才能を見せないので、イチイチ噛み付いてくる五月蝿いだけの集団に見える。明らかに構成的なミス。そしてなんで女性の捜査官が一人増えているのかサッパリ解らない。後編でなんらかの活躍を見せなければ邪魔でしかないキャラ。そもそもさ…DEATH NOTE』にリュークとL以外の花など要らないでしょ?


 メディアミックスに大事なのは、如何に原作の雰囲気を殺さないかである。今作に関してはなんとか観れるレベルだったが、後編へ向けての破綻要素は数限りない。