風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その101+347)

『人は意志ある限り、一種一個体の生物だともいえる』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 あにゃー。(挨拶)


 曇り。雨は朝方まで降っていたが、日中は降らなかった。夕方にはわずかに夕焼けも見られた。
 野生の動物というのは、自らの肉体にプログラムされた本能に従い、生まれ、食し、争い、子を残し、この世を去る。若干の差はあれど、ほぼ全ての種はこのサイクルを繰り返し、代を重ねていく。そこには(おそらく)意志はなく、疑問もない。
 かたや人間は個の生存に対する欲求が異常に強く、生物としては不必要なことを山ほど行い、所有し、またいつでも好きなことをやって、どこでも好きなところへ行くという、比類なき自由な意志がある。そしてあらゆることに疑問を持ち、解明し、自らに取り入れたり、または排除したり。――――結果として出来上がる個としての人間は、同種であるにもかかわらず、他の人間とは大きく異なったイキモノだ。これほど特異な生物は他にはいない。


 そういった特異性(人によっては異常性ともいうが)を生んでいるのは、やはり肉体(ハードウェア)ではなく、精神(ソフトウェア)だ。以前にも似たようなことを書いたが、重要なのは外側ではなく、内側である。