風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その94+347)

『便利だからといって、それが自分にとって最適かどうか、疑問を持たないことは怠慢だし、損しかしない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ヤツらは即刻、反省部屋行き!脆弱性というものについて、こちらがいいと言うまで反省文を書かせろォッ!(挨拶)


 空の9割以上が可視の、濃密な水蒸気に覆われている。つまり曇り。あまり暑くはないが、まとわりつくような空気(空気はいつだってまとわりついているのだが…)が盛りを迎えんとする季節を象徴している。
 最近は携帯電話によるサービスも多岐に渡り、そろそろあの業界も円熟を迎えた感じだ(頭打ち、もしくは行き詰まりとも言うが)。通信速度もADSLと比較しても、速度の揺り幅が小さい分、それほど不便には感じない程度にはなった。ワンセグ放送が充実してくれば、情報端末としての地位は不動になるだろう。
 しかし風鈴製作者個人としては、やはりあんな小さなモニタで、ちまちまと文章を書いたり、あるいは詳細な情報を調べたりする気にはなれないし、ましてや映像など論外だ。理由はただ一つ。断言して時間の無駄だ。人間の目と脳はもっと多くの情報を処理できるのだから、PCのモニタで一気に表示して、瞬時に情報を得た方が効率的なのは間違いない。(※携帯で一般サイトも閲覧できるじゃないか、とか思った人は、さぞかし視力が神がかっているのだろう)


 どうしても出かけた先での情報収集が必要ならノートPCと通信端末で何とかするし、都会にはネットカフェなどもいくらでもある。問題はない。
 知人の四乗根くらいの関係の人に、携帯はF○MA(パケット定額)だがPCによるネット接続はしていない、という人がいる。音楽イベントに頻繁に参加したりする人なので、ネットで知らべた方が効率的じゃない?、と言ってみたら、PCが高くて買えない、という返事だった。どうも中古で買うという発想以前に、PCが中古で売られているということ自体、知らない模様。……明らかに時代に踊らされていると思うのだが。