風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その59+347)

『難しい、と思い込むことは思考の放棄に他ならない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 私を愛さないで下さい。(挨拶)


 曇りwith強風。家がガタガタ揺れ、窓を開ければ部屋のドアがカタンカタンポルターガイスト。ラップ音は鳴らないのが幸い。
 昨日の文化の話に近い話題だが、日常、やってはいけないとされる行動にはちゃんと理由がある。ほとんどの場合がマナー上の問題として規定されているから、というのが多いのだが、それだけでは終わらないものも多い。
 例をふたつ挙げよう。『人を指差してはならない』と、いわゆる『FuckYouのポーズ(手を中指だけを立てて人に向ける)』だ。
 前者の起源は北欧の魔術にある『ガンド』と呼ばれるものだ。この魔術は人を指差すことで相手を呪い、体調不良を引き起こすという。このことから、人を指差すことは敵対行為に等しいのだ。
 後者の起源は少し複雑である。西洋の魔物や悪魔が持つ『邪眼(イービルアイ)』という、ひと睨みで相手を死に至らしめるという恐ろしい眼がある。コレに対する防御法のひとつが例のポーズなのである。あのポーズは実は男性器を模しており、そういった不浄なものを嫌う魔物や悪魔が自分から眼を逸らしてくれるという理屈だ(不浄を嫌う、というのはおそらく魔物や悪魔が元々は精霊や土着神、天使であることに起因すると思われる)。つまりコレを人に向けるということは、お前は邪眼持ちの悪魔だ、と言っているに等しく、最大級の侮辱になるのである。アレは断じて、お前を犯してやる、などという軽々しい挑発ではない。けして人に(特に西洋人に)向かってはやらないように。


 どちらも明らかにこの国を起源とする風習ではないが、どちらも完全に定着している。しかしその実体を知る人間は少ない。こういったことをちゃんと理解することが、文化を知る、ということである。