風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その58+347)

『文化とは物品や風物だけに限らない。その地域の民族的特性も含む』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 たとえ時を駆けたとしても。(挨拶)


 雨は朝方まで降り続けたが、日中以後は晴れ。この季節らしい陽気だった。電車内の週刊雑誌の広告に『天気がおかしい』という一文を見る。確かにやや日照量が少ないように思うが、おかしいとまでは思わない。まだまだ許容範囲内である。
 日本の文化を守ろうだのなんだのと言われ始めて久しいが、そうやって行われている保護活動は、伝統芸能や古くからの住宅、漆器などの独自の製法を持った物品を局所的にピックアップして、ただ何の工夫もなく、保護しろ、助成しろ、存続させるべきだ、と口にしているだけのものがほとんどだ。
 その反面、眼に見えない文化でほとんどの日本人が持っているもの……言葉(標準語)や風習などはどうにもないがしろにされているように思える。実際、標準語をちゃんと策定しろ、という声もほとんど聞かないし、日本人がどういった生活をしているのかを“正確に正直に”伝えようとしている場面もあまり見ない。TVで報道されているNGO団体の活動などを見ると、何故か活動員が着物を着て話をしていたりする。――――日常的に着物を着てる日本人は100人に1人もいないぞ?(※着物姿がデモンストレーションであることは理解している)


 その手の報道で、何故そういった文化を残さなければならないのか、といったことを議論している番組は一度たりとも観たことがない。取り合えず風鈴製作者は対外的にアイデンティティを示すためだと思っている。故に、それはただ正直に今の日本人の良いところを表現すればいいだけだ。自虐的になってはいけない。良いところはそんなに少なくはないはずだ。