風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その57+347)

『人に優しくするために必要なのは豊富なコミュニケーションの経験ではない。想像力だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 誰もとどかないひととせ。(挨拶)


 曇り時々雨、のち雨。昨日に続き気温は低く涼しい。…天候不順もいいところだ。
 他人と軋轢なく付き合うには、それに慣れる、つまりコミュニケーションを繰り返し、模範的な対応法を学ぶことだ。それしかないと思われている節がある。しかし断じてそうではない。
 そういったことを学び始める当初はそれだけでもいいだろう。何しろ自らの周りには親兄弟・親類・近所に住む人間といった最低限の人間しかおらず、それらにのみ対応できればよいのだから。しかし社会に出るにつれ、それまでに出会うことのなかった特異な人格に遭遇するようになる。大抵の人間はそういった人物に出会ったとき戸惑い、わずかに理解を試みるが、すぐに放棄し反発し受け入れない。これは一方的な拒絶であり、酷いエゴだと言えよう。
 経験だけであらゆる人格に対応することは不可能だ。何故ならこの世にはなかなか出会わない希少な性質を有した人間が無数にいるからである。ほとんどの人間はそれらに瞬時に適応することは出来ないし、何より滅多に出会わないような人格に対し、時間をかけていちいち分析し解析することにあまり価値もない。
 そういったある種の能力限界を補うのが想像力だ。簡単に言うとあらかじめ“そういう人格もある”と想定しておくのである。これが完璧に近ければ近いほど、その場面に直面したときの戸惑いは少なく、冷静に、優しく対応できる。とても平和だ。


 結局のところ、優しさといったメンタルな部分も、合理的に分析してみれば根源は知性なのだと判明する。しかしこれを許容しない人間は多い。きっと知性というものに、酷く非人間的で冷たいものだという思い込みを抱いているからだろう。――――冷たいも暖かいも幻想であって、本質ではないのだが。