風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その40+347)

『完全とは一であり全である。故に他は必要としない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 “完全”でこの日記の検索かけてみたら20回近くも使ってた。(挨拶)


 朝から小雨が降っていたが、知らないうちに止んでいて以後曇天。今夜からまた雨らしい。
 森博嗣氏の『εに誓って』を購入。多分今夜中か、遅くとも明日には読み終わる予定。感想はその後で。
 森氏のブログにも書かれていたことだが、長編小説読者のニーズで、なるべく長文ではない作品を、というものがあるようだ。正直これには理解できないとまでは言わないが、やはり理解に苦しむ。
 文章が長くなるのはけして冗長的なのではなく、必要だからそうなっているのである。まがりなりにも小説を書いているのはプロなのだ。文字数が足りないから、などという投稿初心者が用いそうな理由で無駄な文章を書き連ねていることなどないだろうし、推敲の過程でシェイプアップはしているはずだ。
 そもそも何故長編作に短文を求めるのだろう?
 ――――時間がないから?
 ――――長いと話が理解できなくなる?
 前者なら短編を読めばいいし、後者なら話についていけるよう努力か工夫をすればいいでしょう?


 この文章を読んで「読者は客だ。だから作家は読者のニーズに応えなくてはならない」と思う人がいるかもしれない。ええ、確かにある程度はそうですね。しかし上記のような類の要望は「おたくのPC買ったけど、使い方がよく判らない」というクレームをメーカーに言うのと同じレベルだと風鈴製作者は思います。