風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その39+347)

『経験に勝る信仰はない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ついに\6,000割れ。(挨拶@海外製SD)


 終日曇り。朝方少しだけ雨が降っていたがすぐに止んだ。若干湿度が高いように思う。
 どんなに不思議で超常的、かつ現実的ではないと感じることでも一度体験してしまえば信じざるを得ないし、それが正しいことだと思い込む。人間はそういう生物だし、それはそれで間違ってはいない。
 しかしあくまでそれは正しく状況を認識している場合である。多くの場合、人間は現象を自分なりに解釈して理解する(したフリをする)。そこにはいくらかの誤認と思い込みが混ざり込む。そうやって認識したものはもはや虚構であり、結果として人は虚構を正しいものだと認識するのだ。
 更にもうひとつ言うならば、仮に正しく現象を理解していてもそれが将来的にも不変のものであると思いがちである。一度そうだと知ったら、例え同じ状況下で異なる結果を目にしたとしても、なかなかそれを信じようとはしない。


 以上の2点からまさに経験とは信仰、あえて酷い言いかたをするなら“妄信”だと言える。自分を否定しろ、と言っているのではない。ただ常に再考し、自らの常識や観念をリフレッシュするべきだと思うだけだ。