風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その34+347)

『親が子供を育てるのは生み出した者の責任。子供が望んだわけではない。面倒をみるのは当たり前――――そう思っておくくらいでちょうどよい』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 「人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ」〜吉田兼好徒然草』(挨拶@子供の名付けDQN度ランキング


 晴れ。少々風が強かったが窓を開けて部屋の掃除をした。…掃除をする度に大量の資源ゴミ(紙ゴミ)が出る。大半がチラシ。無駄なことこの上ない。
 上記のサイトで紹介されている怪奇・珍奇極まりない名前の数々。確かに最近おかしな名前をつける親は増えたように思う。もちろん過去にも個性的な名前をつける人はいただろうが、しかし何の意味も持たせず、音の響きなどで決めたりはしていない。
 本人たちとは何の関係もない架空のモノの固有名詞や、或いは英単語を無理矢理曲解した漢字で当てるとか酷すぎる。両親はそれで満足なのかもしれないが、子供にとっては明らかにマイナスでしかない(特にアニメキャラ(非人間も含む)の名前は最悪)。学校では絶対ネタにされてイジメられるだろうし、第一、どのように解釈しても正しく読めないような名前は社会生活上、不都合が出る場合が多い。――――勇者(ろと)とか笑来星(えめらすだす)とか遊んでるんですか?


 自己満足でしかない名前をつける親は、子供はいつまでも自分たちの所有物だと思っているのでしょう。しかし子供は子供、自分は自分です。親の権利をどうこう言って好き勝手な名前をつけるなら、まず子供も人権ある個人だということを認識して欲しいものです。