風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その26+347)

『いつまでも新しく開発していけばよい、という考えには未来がない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 スピリオ・シャルルズウェイン!(挨拶)


 日に日に暑くなっているな、と幻想。実感できるほどに気温が急上昇しているはずはないが、やはりこういったことにも苦手意識が大きく作用するらしい。天気は晴れ。たまにはグゥになればいいと思う――――が、エライコトになりそうなので前言撤回しておこう。
 ネットの発達…というよりもネット環境の整備に伴い、誰でもいつでも大抵のことは調べることが出来るようになった。各種情報の専門サイトも数多い。
 かつて風鈴製作者が幼かった頃は、わからないことがあったら、まず周囲の人間に聞いていた。結果として多くの場合、両親のどちらかに聞くことになっていたわけだが、あまりちゃんと答えてもらった覚えがない。結局図書館などを利用し自分で調べていた。しかしながら、あまり本を読む習慣のなかった子供時代の風鈴製作者にはこれがまた手間で仕方がなかった。
 反面、現在の子供はネットが使用できるのが当たり前だ。自宅ですぐに調べ物ができることだろう。しかしきっとその前に、やはり両親に質問することだろう。――――さて、ここで思うのだが……、両親が答えられなかった質問が、ネット検索であっさりわかってしまった場合、子供は両親のことをどう思うのだろう?


 親の威厳がどうこうと声高に言う時代でないことは解っている。しかし個人的主張として、一定以上の知識と知能を親に望みたいところだ。子供にごまかしは通じない。結構敏感である。少なくとも風鈴製作者はそうだった。