風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その11+347)

『犯罪を犯した者の親類縁者にその責を問う者は、自己の自由を主張するべきではない。矛盾する』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 いつか、どこかで、きっと――――。(挨拶)


 昼過ぎくらいから小雨。やや肌寒い。湿っぽく寒いのは好きではない。どうせなら飽和水蒸気量が限りなく0になるような気温ならいいのに。…無論冗談デスヨ?
 あちこちのオタク系ニュースサイトを読んでいると、必ずあるのが10日(月)に日テレのニュースでやっていたオタク叩きの件について。まあその報道内容はいつも通りのテンプレ報道なのですが。
 某電車男に端を発するマスコミの煽り(一部捏造)と視聴者の思い込みによるアキバ系ブームにより、幾分その存在範囲が広がった観のあるオタク文化ではあるけれど、まだまだ社会の隅っこで蠢く日陰文化であることは間違いない。故にファッション・飲食・テーマパーク等の大衆性のあるものにしか価値を見出さない一般の方には理解できるわけもなく、また犯罪に走る温床になっているなどという根拠のない話(少なくとも風鈴製作者は大規模な統計に基づいたまともな研究資料など見たことがない)が平気でまかり通っている限り、社会的に歓迎されるような文化にはなりえないのだろうと思う。


 そもそも、どんな分野の趣味人であろうと、一定の社会的常識のある人ならその分野に興味の無い人に理解を求めようなどとは思っていない。ただ放っておいてくれればそれでよいのだ。干渉しなければ、お互い平和だ。しかしそれが解らない人間も多い。とても不思議だ。