風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その7+347)

『“依存”か“信頼”かは関係が壊れた時にしか判らない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 光学式マウスは感度が良すぎだと思う。あと滑りすぎ。(挨拶)


 曇り。今年は桜が咲いてからというもの、あまり天気が良くない気がする。しかしそれは多分気のせいだ。風鈴製作者の休日にたまたま天気が悪いだけだろう、…きっと。
 先に言っておく。依存が悪いなどとはまったく思っていない。では本題に入ろう。
 人間には様々な関係がある。家族関係・血縁関係・友人関係・仕事関係・師弟関係……無数にあるだろう。そしてそれら全ての関係は“協力”という鎖で結ばれているものだ。…この時点で、そうではない、と思う人が多そうだが事実である。そういうもので人と人は結ばれているのだ。
 しかしその鎖にも2種類ある。“依存”と“信頼”だ。通常、協力=信頼だと思われている節もあるが、お互いに依存している、つまり共依存の状態は協力関係と言えるだろう。この2種の違いは責任の所在と代理が存在するかどうかだろう。信頼というものは責任は自分にあり、いくらでも代わりは利くだろう(個人的感情と信頼は本質的に無関係だ)。対して依存はその責任は相手にあり(多分ここが依存するのが悪いこととされる所以だろう)、そして代わりはいない。依存している対象個人が必要とされているからだ。
 このように分析してみると明らかに異なる両者だが、その見極めは難しい。確定されるのは関係が破綻したときだけだろう。そう例えば――――壊れた家族関係とか。そうなったときの親の子に対する態度は必見だろう(そういった状況を眺めて楽しめ、と言っているのではなく解りやすい例として挙げているだけだ。他意はない)。


 そういったことを思いながら読んでみると面白い作品(↓)でした。(実は単なる作品紹介)