風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その3+347)

『誰かに優しくするために、まずその人の気持ちを解ってあげよう』
『…そんなことしたら、むしろ冷たくなっちゃうよ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 カガチが倒せません。(挨拶@式神3)


 またしても夕方から強風。しかしもうまったく寒いとは感じない。
 人の心は“一般に言うところの”善性だけではない。当然悪性も存在するわけだ。(※性善説性悪説を問題にしているのではない)
 風鈴製作者が観察する限り、人は他人の良い部分よりも、悪い部分に注目しやすい。よく子供の良い面を重視して誉めてあげましょう、とかいう子育て指針を耳にするが、そんなことを実行できている人を、今のところ見たことがない(存在しないとは思わない)。つまり――――そういうことだ。
 おそらくこれは人間に備わった向上精神というか、そういった本能に関わる行動だろう。この場合、具体的に言うと、人の悪い部分をあげつらって貶めることにより、自分が優位に立っているという錯覚をする。そうして心を満たすのだ。明確な理由のないイジメの発生原因と同じ理屈である。


 だが、あくまでそんなものは錯覚でしかない。合理的でも論理的でもなければ、生産的でもない。それどころか一種の破壊行為に近いと思う。人間全体という大きな眼でコレを観察すると、明らかに向上精神とは矛盾した行為だ。…つくづく人間とは不思議な生物だ。