風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その347)

『愛を始め、感情とは人の本質とは無関係だ。しかし無関係ではあるが、無意味ではない――――と幻想するのは、まあそう悪いことではない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 穿ち過ぎだね。(挨拶)


 天気は快晴。気温もまあ普通。風もまあ普通。普通の風が吹いていた、という意味ではなく、風速が強くもなく弱くもなかったということだ。これだから“普通”という表現はなかなか安易には使用しない方がよい。
 さて年度末である。風鈴製作者個人にはほとんど関係ないことだが、一応記してみた……が、うん、やはり関係がない。あるとすれば、このアクロバット日記を始めて今日でちょうど一年だということくらいか。…しかし回数は今回も含めて347回。19回分は何処へ行ってしまったのか?一ヶ月につき、1.5回以上もサボってるなんて日記と言えるのだろうか?――――もちろん、言えるのである。
 日記はあくまで本人の意思によって行われるもので、特に書くことがなければ無記入なのが自然だろう。それが日記というものだ。サボっている日は、きっと特に何もなかった日なのだ。そう思うことにしよう。
 ただ世間では、日記サイトは毎日更新するのが当たり前のような風潮があるように思う。でも義務化したらそれはもう日記とは言えないのではなかろうか?(そもそも日記サイトと呼ばれるサイトのほとんどはネタの雑記帳だと思うのだが、どうか?)


 こんなことをツラツラと書いていると、これでこの日記をやめるのかと思うかもしれないが、そんなつもりはない。明日からもツラツラとどうでもいいことを書き続けると思う。だってコレ、日記だし。でも別に、絶対やめない、というわけでもない。それほど思い入れがあるわけでもないし、いつやめたって構わない。きっと必要ないと判断したら、何の前触れもなくやめるだろう。しかしそれは風鈴製作者の脳内で、その日のことが間違いなく記憶・再生できるようになったときの話だ。そうなるのはいつのことだろう…?