風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その345)

『望郷や懐古は、やはり現状を憂えているからに他ならない。しかしそれは無意味なことだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 誰かを救うということは、他の誰かを救わないということなんだよ。(挨拶@衛宮切継氏)


 晴れと曇りのハーフアンドハーフ。どちらが主でもない天気。そういえば朝方、雷が鳴っていたらしいが気が付かず。風鈴製作者の眠りは深い。
 どんなに場所や時が違おうとも、問題や不満はなくなるはずもない。そういった衝動を、限りない欲求が生み出すものだ、と主張して、まるでイケナイものであるかのように扱う人がいる。しかしそうではない。それは、より安全でより便利な方向に向かう、という人間の機能の一つだと思う。良い/悪い、ではなくそれが自然な姿なのだ。


 社会的観念として欲望や欲求に従って行動することは良くないことだとされている。しかし、だからといってそれら全てを排除してしまっては進歩はなくなり、社会は破綻する。何事もほどほどがBETTER(BESTではない)であり、また極端に急進的であるのも軋轢を生み遠からず崩壊する。つまり――――“そういうこと”だ。