風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その326)

『昔の人間は馬鹿ではない。ある程度貧しい時代の方が賢い人間が誕生する』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 買ってきた、しかしまだ飲んでいない。(挨拶)


 朝からずっとにわか雨。ニカワ雨ではない。それでは何もかもくっついてしまう(意味が解らない人はスルーのこと)。
 人間というものはやはり生きている動物なわけで、その最優先事項は種の保存、その次に自己の防衛である。
 つまり生き残ることが重要なわけで、そのためにより余裕のある方へ進もうとするのは当然のことである。そのために誰もが様々な創意工夫をする。今が貧しければ豊かになろうとするのは自然のことだ。
 しかしそういったことを考えるにもある程度の余裕が必要だ。起きてから寝るまで重労働に従事していてはとても思考することなどままならない。
 ――――つまり俗に言われる『ここ数百年における人類の急成長』とはそういうことだと思う。太古・古代、人類は食料の確保、外敵や災害の脅威などに追われる生活を送っていたために進歩が非常に緩やかだった。しかしそれでも長い年月の積み重ねにより徐々に多くの知識や経験が積み重なっていき、急成長の下地が出来る。あわせて生活にもわずかながら余裕が出来たために、そういったものを応用しより便利なもの・素晴らしいものを生み出して貧しさから少しでも離れようと考える人間が多数出現。結果として人間世界は急成長を遂げたのだと考える。


 つまり大きな進歩には一定の貧しさが必要だと風鈴製作者は思う。多分だが、今後世界全体が豊かになるにつれて進歩は緩やかになっていくだろう(同時にとても平和になるだろう)。こういった考えは手塚治先生の『火の鳥・未来編』にも見られる(技術が退行するとは思えないが)。おそらく間違いない。(多分とかおそらくとか言っているあたり風鈴製作者の小心が感じられると自己分析)