風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その317)

『何が問題なのかに気付けたのなら、もう解決したも同然だという。事実ではあるが、その意味を理解している人は少ない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 意味のない伏字の氾濫。(挨拶)
 

 5日前、母親がどこぞから缶コーヒー(L○○ts AROMA BLACK)を何本か貰ってきた。風鈴製作者個人としては嫌いではない品なので文句はないが、しかし貰ってきた彼女自身はそのことを知らなかった模様。そのことを指摘すると、誰も飲まないならわたしが飲むから問題ない、とのこと。
 しかし彼女は缶コーヒーどころか清涼飲料水自体、まったく飲まない人物である。とても一人で処理できるとは思えない(実際、今のところ彼女は1本も飲んでいない)。結局のところ風鈴製作者が全部飲むことになるだろう。


 この場合の“問題”とは処理できるかどうかも判らないものを貰ってくることにある。しかし人付き合いとして、勧められた物を快く貰ってくることが望ましいというのが彼女のスタンスらしい。――――ほら、問題に気付いていても解決しないよね。(屁理屈@捨てれば解決する)