風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その316)

『憎まれ役が必要なくなるには、大多数の人間がストイックにならなくてはならない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 20歳台で録画予約できない人、発見。(挨拶)


 憎まれ役が必要なのは動かない人間がいるからなのは明白だ。なにも好きこのんで嫌われようとしている人はそんなに多くはないだろう(まったくいないとは思わない)。
 だが、ただ憎まれる役がいてもダメだ。大抵の人間はただ何らかの圧力を受けても反発するだけだ。圧力をやわらげ吸収“させる”緩衝材の役が必要なのだ。アフターケアと言い替えてもいい。
 ただしこれには絶対条件がある。憎まれ役は理が通ってなくてはならず、また緩衝材役はけして憎まれ役を否定してはいけないということだ。コレ、重要!


 最近長文が過ぎるので今日はここら辺で。あまり長いと読む気を失くすかもしれないという配慮だが、コレがあくまで日記だということを考えると、どんなに難解かつ長文であろうと書いている本人には解るのだから問題はない。こういったジレンマはネット上に公開されている日記サイトの特性だろう。