風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その313)

『環境が認識の違いを顕し、知識がその相違の幅を決める。しかし想像力がその溝を埋めるだろう』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 なんで誰もクワドラプルって言わないんだろう?(挨拶)


 ここ最近、気圧配置を見ていると、明らかに冬の配置ではなくなっている。降雨も多く、なんかどんどんと春になっていくような感じ。気象庁発表の長期予報でも今年の春は早めにやってくると言っている(信頼度は微妙だが)。
 別にこれは異常気象でもなんでもない。長い目で見ればこういった事例はいくらでもある。
 気象の変化というのは、大気圏内の変化(二酸化炭素の増減など)だけによって起こるわけではない。上空はオゾン層の厚みの推移(オゾン層は常時均等ではない)、地中はマグマ層の流れ、海中は海面近くの表層海流及び深々度の深層海流の変化、そして宇宙は太陽活動の大きさがある。それらの変化は超長期スパンで行われていて、いまだ完全には解析できていない。これらの研究が本格的に行われているのはここ50年ほどであり、データがまるで足りていない。明確な答えなど、誰も持ち得ないのだ。
 しかし多くの人はすぐ目の前の結果を求めたがる。科学は今の自分たちのためにあると思っているからだろう。だが実際にはほとんどの科学研究は遠い未来のためにある……というよりもいつの、誰のためでもない、というのが正確か。何故なら科学は終わりのない積み重ねなのだから。


 人は個人ではまず目の前のことを考えるのが正しいだろう。しかしそれは局所的なことに限られる。大局的な事柄はもう少し長い目で見るのが大事だと、風鈴製作者は考える。