風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その312)

『“生きる”ということは、この世にいることを指しているわけではない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 『あ、そう』って言ったら不思議がられた。(挨拶@金メダル)


 エンターテインメント系メディアの中で、5、6年間作品を出さなくてもファンが離れないのは小説くらいだと思うのだが、どうか?
 その理由は、おそらく一個人で創り出すものだからだろう。少なくとも、ゲームなど企業ぐるみで製作しているものは、長期間活動を休止していると採算が取れなくなってしまうので、コンスタントに何かを創らなければならない。
 またTV番組なども同様で、例えばある大人気ドラマが5年越しで続編を放送したとしよう。しかしそれはきっと視聴者が望んでいるような続編にはけしてならない。出演者サイドも製作者サイドも生身の人間のため、様々な点で変わってしまうからだ。またスポンサーの意向や製作会社のスタンスなど、本来作品自体とはまるで関係ない要因にも左右される。それら全ての変化を理解し、調整できる超人のような人材がいない限り、“続編”は“続編”足りえないだろう。結果、不評に終わる。


 そういったことを考えると、エンターテインメントは刹那的なものと思えてくる。しかしそういった中で、文芸は比較的エンターテインメント性と永続性を両立できている。きっと業種として完成しているからだろう。(完成しているが故の弊害もあるが)