風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その305)

『会話の齟齬はその軸となっている時世の相違によって生まれることが多い』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 お酒を楽しむには恒常的に飲み続ける必要があると思うんだ。(挨拶)


 例えば“〜〜すべきだ”という論議があったとする。
 このとき、未来を見据えている人の主張は、過去の出来事を踏まえてそれがどうあるべき“だった”のかを考えている人には通らないことが多い。同様に現在しか見ていない人もしかり、だ。
 しかしこの前提的な食い違いに気付かずに論議を続けてしまう場合が多いため、大抵は物別れに終わってしまう。そんなことはないだろう、と思うかもしれないが、少なくとも風鈴製作者の周囲ではそういうことが多い。
 ちなみに風鈴製作者自身がそういった場面に遭遇した場合、ほとんどは事細かに説明(あるいは説得)することをしない。適当に見切ってしまっても問題ないからだ。別に他人を馬鹿にしているわけではないし、何もかも諦めているわけでもない。コレ、重要。


 ただ、予め合意の上で前提を設定しているにも関わらず、そこから逸脱した論理を展開する人は見切りません。見捨てます。会話が出来ない人ですから。


私信
 M角氏、お疲れ様でした。頑張ってください。