風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その301)

『他人に何かを伝えることは、その人間自身が思考の末に到達したものでなければ理解したとは到底言えない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 おお、○○よ、死んでしまうとは何事だ!――――大きなお世話です。(挨拶)


 今週のジャンプより『魔人探偵脳噛ネウロ』について。
 今週号の話で、だいたい『ネウロ』という作品で言いたいことが見えてきた感触がある。無論まだ理解に至る糸の端に掴まった程度だが、あとはこの方向でたどっていけば本質がみえてくるだろう、という確信がある。この感覚は、数学の問題で考える方向性に気付いた時の感覚に近い。数学が大嫌いな人には理解しがたいだろうが、ああそういう感じか、と直感的に(断じて直感などではないが)ひらめく瞬間があるのだ。


 『ネウロ』はその奇妙奇怪な作風とは裏腹に、割りと深いマンガだと思う。――――そう思っているのは全読者の2割以下だろうけど。