風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その298)

『かつてそうだったから、などという理由で現実に即さないことをすれば必ず争いが起こる』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 某後継者問題のことではない。念のため。(挨拶)


 本を読んでいると大抵は章や文節の区切りで栞を挟む。それが次に読むときに有効に働くと思っているからだ。
 しかし実際にはどこで栞を挟もうと大した差はない。少なくとも風鈴製作者はそうだ。
 だいたい本を読む場合、一度本を閉じても数日内にはまた開くのが通常だ(それ以上の期間、読み進めない、あるいは読み進められない心情・環境にある人は別だが)。その程度の時間で本の内容を忘れてしまう人はさすがにいないだろう。
 では何故そんなことをするのか?
 おそらくではあるが、そうやって本人の中で美しいカタチで区切りをつけることによって達成感に浸るためだろう。そのことに別に文句はないし、別にどうという感情も抱かない。ただ、紛れもなくそれは幻想であって思い込みでしかない。人間は割りとそういう行動が多い。合理的ではない、無駄が多いのだ。


 そういうのを楽しむのが人生を満喫するコツかもしれない。しかし論理的でも合理的でもない。結局、適当に曖昧に生きるのがベストだ。――――人間社会に生きるなら。