風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その256)

西埠頭公園にて…

『芸術は、きっとその“空間”が胸を打ち、感動を与える。故に写真ではそれは完全に伝わらない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ちょっと日焼けしちゃった。(挨拶)


 伝えたい空間がある。
 けれどそれは写真では伝わらない。伝えたいのは、その場の視覚情報ではなく、空間そのものだからだ。
 人間が感動を覚える時、眼で見たものだけでそれを感じているのではないと思う。その場の気温、音響、匂い…いくらでも要因はある。けれど写真はその内の視覚情報しか伝わらない。(気温なんかは伝わるかもしれないが、不正確だ)。
 絵画などの芸術作品は、作者の意図を視覚、あるいは造形で表現する。そして優れた作品はそれを十二分に伝えている(それでも作者の何分の一かだろうが)。つまり芸術というのはそういうものだと思う。


 そんなことを考えた、コミケ69・2日目の早朝6:40でした。