風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その254)

『二次元と三次元を最も混同してしているのは、実は良識派を名乗る大人たちではないか?』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 昨晩、NHKで放送していた番組で“秋葉原でのある一日”みたいなコンセプトで(多分そうだと思う)、美少女ゲームオタク/同人ゲーム製作者/メイドカフェ店員/オーバークロッカー(※クラッカーではない)/電気部品販売店主の5人にスポットをあてて紹介していた。
 内容は可も無く不可も無く。あからさまなオタク攻撃をしていないだけ良心的とは言えるものだったが、その中で美少女ゲームオタクがこんなことを言っていた。


 美少女ゲームで純愛を感じて、現実で頑張っていく。(※純愛を楽しむ、のではないことに留意)


 おそらくこれはほとんどそういったゲームをやったことの無い人には、理解出来ない感覚だと思う。だがこれはスポーツ観戦や他のジャンルのゲームにも同様の感覚が存在すると、風鈴製作者は考える。
 端的に言ってしまえば、現実はままならないから、スポーツ観戦やゲームをすることにより、なんらかの疑似体験をして憂さ晴らしをするのと同じだ、ということである。オタクの彼は、その方向性が美少女ゲームだっただけのこと。それが虚構の産物であるかどうかは問題ではない。そもそもあらゆるエンターテイメントには、必ず演出というものが存在するので少なからず虚構だからだ。


 人にはいろいろな感性があり、また一定ではない。同じ事をやっていても、同じ人格は生まれない。全ては不確定だ。許容することが大事である。