風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その248)

『一夫多妻の意味。家を継ぐ者の乱立を防ぐため。だから現代においてはほとんど意味が無い』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 冷気で顔が少し痛い。だがそれがイイッ!(挨拶)


 少し前に浮気と二股について書いたが、その続き、というか一夫一婦制について。
 この国において一夫一婦制が定められたのは明治時代。“家を継ぐ”という概念が強かった時代だったので、無用な争い事(財産相続含む)を予め防ぐ意味もあったのだと思う。
 時は流れ現代。
 時代と共に旧来の観念は薄れ、一般家庭において“家”を意識することなどほとんど無い。それどころか、家など継いだら親の面倒を見なくちゃいけないじゃないか、と渋る人間もいるだろう。世知辛いことです。
 財産分与の観点からも均等分配や遺留分請求などがあるため、よほど額が大きくない限り、争いなど起こらない。そもそも貧富の差が少ないのでそんなに財産というものに躍起にならないようにも思える。
 よって、現代において一夫一婦制は何の意味も無い制度ではなかろうかという結論に至った。どうだろ、どうだろ?


 …ただし、今後フリーターの増加に伴い、貧富の差が徐々に拡大するかもしれない。そうなったら一夫一婦制は意味を持つかもしれない。かしこ。