風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その247)

『社会が巨大化し、複雑化すればするほど理不尽さは生まれ続ける。そしていつか破綻するのだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 そしてまた新しい社会システムが生まれる(そしていつかまた滅ぶ)。(挨拶)


 耐震構造偽装問題もいよいよ本格的な捜査の手が入った模様。
 風鈴製作者自身は直接影響があるわけではないので特にこれといった感情は抱かないのですが、妙に父親が憤慨している。やはり“一国一城の主”思想が植えつけられている世代はああいったことには敏感なようだ。
 父親はことあるごとに「殺人未遂だ」とか、「小泉首相は何をやっている」など若干過激な発言をしているのですが、今回のことはどうやっても殺人未遂罪は適用できないでしょうし、総理大臣とはいえ、事件関係者のことを小泉首相がどうこう出来る権限はありません。そういうことに類することを口にしただけで、裁判所関係者は抗議してくるでしょう。三権分立の原則があるからです。
 多分、今回の事件は建築基準法よりはその他の副次的な罪状が中心となって裁判が行われるでしょう。建築基準法違反は罰則が緩いので、その方が被害者が納得しやすいからです。――――納得しやすいだけで許せはしないでしょうし、金が全額戻ってくるとは思えませんが(何故全額戻ってこないのかは自分で考えよう)。


 お金が戻ってくればそれでいいのか、それとも悪い人を明確にして納得のいく罰を与えて欲しいのか?前者が達成されれば被害者は引き下がるべきで、後者は現行の法に照らし合わせるしかなく、必ずしも被害者の意向を汲むものではない。風鈴製作者はそう考えるしかないと思うのですが、どうでしょう?