風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その218)

『なにもしない、というのはとても平和なことだ。しかしほぼ100%の人間がそれに耐えられない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 トラウマスイッチ、入っちゃった♪ドロドロドロドロ…。(挨拶)


 武装する、とはどういうことだろうか。
 辞書的な意味としては、戦闘のために装備すること、とあります。すなわちなにかと争うための準備なのです。
 しかし、そもそも“武”という文字自体が“矛を止める”という意味を持っているので、本来の単語の意味として、争うというニュアンスは無いように思います。
 では本来の意味での“武装”とはなんなのか?
 物理的に鎧や剣を装備するにしても、知的に理論武装するにしても、相手が存在する以上、結局矛を交えることになるわけですし、結果として矛を止めるどころか、むしろこちらから刃を振り下ろすことになる場合もあるわけです。あまり“矛を止める”ための行動として合理的では無いような気がします。
 ではどういうことが、“武装”になるのか?


 ――――きっと始めから逃げるか隠れるかして、相手をしないこと。火種を生まないことです。