風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その205)

『天気の定義はなかなかに人間的だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 うるさいうるさいうるさいっ!(挨拶@今後消えて無くなりそうな口癖)


 雨や雪、雷や霧、砂あらしや地吹雪などがない時、全天を「10」とした場合、雲量を0から10までの整数で表し、雲量が0から1のときは「快晴」、2から8のときは「晴れ」、9から10のときは「曇り」――――と気象庁の規則では定義されています。
 しかし雲量は気象台職員の目視観測によって行われているので、「快晴」はともかく「晴れ」と「曇り」の境界は個々人の印象によりかなり大きく変動するのではないかと。
 正直9割以上の人は「晴れ」or「雨」くらいしか気にしていないと思うので、「曇り」の予報はあまり必要ではないかと思うのです(だって曇りだって洗濯物は干していくでしょう?)。
 それでも「曇り」の予報がなくならないのは、それを必要だと思い込んでいる人が多いからで、そういう無駄さを信じ込むのはとても人間らしいと思うのです。


 今、読み終わったライトノベル
 アニメ化もされましたが、なにか無理に引き伸ばしている観が否めませんね……いや、この国が資本主義だってことは解っているので文句があるわけでは無いのですけど、もっとスッキリまとめていれば既に綺麗に完結していると思うわけで。


灼眼のシャナ〈11〉 (電撃文庫)

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