風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その166)

『この話ってさぁ、オレならこうはしないで書けるぜ』
『後々破綻するのがオチ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 “外郎売”、もう忘れかけてるなぁ…。(挨拶)


 神仏職にある方々は基本的に祝詞や経典が頭に入っているわけですが、アレって短編小説くらいの長さはありますよね。
 風鈴製作者も演劇をやっていた関係上“外郎売”は当然覚えていましたし、演劇台本も自分の役以外の部分も概ね覚えていました。
 しかしそれが出来るのは、その文章の意味を理解し関連付けられるから覚えられるわけです。なんの“流れ”もない文字の羅列は到底覚えられるものではありません。
 もちろん祝詞や経典もちゃんと文章としての意味があるのでしょうが、現代文法において使用されない表現や、一般生活上ではあまり意識しない宗教的概念などが頻出するため、その理解には酷く苦労が伴うと考えます(あくまで一般人視点として、ですが)。


 今、自宅でお坊さんが経を上げています。…あれは覚えられねぇ…。