風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その164)

『何もしなければコウフク』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 とっぴんぱらりのぷぅ。(挨拶)


 『Prismaticallization』というPS用(DCにも移植した)ゲームがあります。
 発売当時、その困難なシステムや難解な哲学用語を乱発する主人公についていけないユーザーの批判を浴び、その後、原画担当マンのネット上での暴言も相俟って、轟々たる非難を浴びることになったゲームなのですが、一部ではカルト的人気を誇るゲームでもあります。
 当然風鈴製作者も持っていますし、一通りやり倒したのですが、その内容や批評については他のサイトに譲るとして、今日はそのテーマについて。
 まあ表層上は日常から遊離してしまった(しかけている)人々の回帰の物語なのですが、随所随所に現実から乖離してしまった原因が差し込まれており、人は如何にして世界に背を向け、そしてどのように対処するのか、といったことを考えさせるゲームだと風鈴製作者は感じました。


 あえて言うなら、現在のニートの人々の思想に通じる作品です。


 非常に思索的に練られているゲームで、何人か友人にも奨めたのですが、誰一人楽しめた人はいなかったようです(爆死)。
 あれ以降、似たようなシステムのゲームがあるという話は聞かないのですが、誰も作らないのか、それとも作れないのか……風鈴製作者は後者だと考えます。それくらい作りこまれています。イメージは良質ミステリ級の練りこみ具合。
 シナリオ・構成担当の方は新作にも着手していたようですが、どうも頓挫したようで残念極まります。開発再開しないかな…。


Prismaticallization

Prismaticallization