風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その161)

『本物の戦場における作戦は、極めて地味で実質本位で淡々と行われ、個々人が気付かぬうちに遂行完了しているものである』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ここ何年かのヴァーチャルリアリティの発達に伴い、非常にリアルな戦場戦術シュミレーションゲームが増えてきました。
 先に記しておきますが、風鈴製作者はこの手のゲームを決して否定しません。閉塞感漂う現代社会において、ある程度のガス抜きは必要だと考えるからです。
 しかしいくらビジュアル的にリアルだからといって、実際の戦場においてもゲーム内のようなことが行われていると認識するのは愚の極致なワケです。
 現実にはゲームのように一個人が突出して活躍すること場面など、まず存在しませんし、また部下の兵士たちがバタバタやられているのに、作戦さえ完遂すればOK、ということもありません。現代の戦争は一人でも死傷者を出さないことが求められているからです(無論、理想論ですが、そのように考える人が多いのです)。
 ひとつ例を挙げるならば、現在イラクに派遣されている自衛官の人たちはかなり無茶な要求をされています。彼らは一応自衛のための反撃行動は認められてます。しかしそういった場面においても極力(事実上絶対)重火器を用いずに周囲への被害拡大を防ぎ、なおかつ部隊構成員を決して死なさない、とされているのです。


 ――――無理言うな、相手は突撃銃と爆弾抱えて襲ってくるんだぞ!“死ね”ということか!?


 そもそも自衛官も含め、軍人職にある人々はその場にある道具・状況を的確に把握・判断し、より効率的に作戦を遂行、敵対戦力を排除することを訓練している人々です。それを“手加減しろ”とはどういうことなのか?現場で不安・不満を感じる人は多いと思います。


 現実とはこんなもので、いつだって誰にだって理不尽が襲ってきます。ゲームのようにはいかないのですよ。