『法の正義と個人の正義。どっちを優先する?』
※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。
許されぬとも――――この世界に、裁きを。(挨拶fromなかない君と嘆きの世界-宴-)
どっちを選んでも個人の正義を優先していることになる罠。
正義とはすなわち容認できる範囲のことだと思う風鈴製作者。つまり法の正義を認めた時点で、それは“法”を自らの正義に取り込んだということ。“正義”とは可変のなのですよ。
むしろ可変でなくては、とても不自由なことになります。もし不変の人がいたならば、その人は自分で自分の首を絞めることにしかならない正義を持っていると考えます。
――――ご都合的?その通りです。人はそうやって世界を保ってきました。これからも保ち続けます。